休日の東京駅。新幹線ホームに行けば、見学や写真を撮る家族連れがたくさんいる。書店の鉄道コーナーに行けば、書籍の類も数多く出ている(専門誌まである)。インターネット上では、新幹線に関連するサイトも多くある(ウチもか)。鉄道模型や玩具でも売れ筋は新幹線。鉄道趣味といえばジャンルは数多くあるが、新幹線はライトユーザも多く、特にメジャーなジャンルといえる。
東海道新幹線の開業は1964年と、それなりに長い歴史があるのだが、鉄道趣味のジャンルとしてメジャーになったのは1990年代後半くらいからの話で、実は比較的新しいジャンルだったりする。
東海道新幹線開業時の車両は言うまでもなく0系で、次に新幹線として新しい車両は1982年の東北・上越新幹線開業時の200系。しかし、200系は見た目は0系と大差ない(緑色になっただけに見える)から、 実質的なモデルチェンジは1985年の100系までなかったことになる。つまり、新幹線といえば0系の形をした車両というイメージが20年くらい続いたわけで、転じて0系しか走ってないつまらない鉄道というイメージも強かった。新幹線自体が在来線と関わりのないクローズされたシステムだったから、そもそも「鉄道」とみなされていたかどうかも怪しく(今でいえばリニアのような感じか)、 修学旅行とかで「思い出の乗り物」として扱われることはあっても、歴史が長くバラエティ豊かな車両が走る在来線に比べたら、趣味的観点からは大きなハンデを背負っていた。
時代の流れに応じて登場した新車に「伝統を壊した」などと文句を言いながら、廃車される車両にロマンを感じ追いかける----鉄道ファンは得てして保守的な人が多く、新しいものは受け入れない傾向がある。新幹線の開業=在来線の名列車(特急列車・寝台列車等)の廃止という図式が成り立ってるのも事実で、 その意味では新幹線は趣味の対象になるどころか、むしろ忌み嫌われるような側面もあった(今でも新幹線が嫌いな人というのは少なからず存在する)。
こんな流れが変わってきたのは前述の100系登場あたりで、その後の国鉄分割民営化により、JR各社で工夫を凝らした車両が続々と登場することにより、メジャーなジャンルに躍り出た。そんな現在からは想像もできないが、 新幹線は鉄道趣味としては外道と捉えられていた時代が長くあったことは触れておきたい。
ちなみに、鉄道趣味歴も長く、こんなサイトを作っている筆者も似たようなものであった。新幹線を忌み嫌いまではしなかったが、たまに旅行とかで乗る速い乗り物という感じで、やはり趣味の対象としては興味無かったな。今現在、こんなサイトを製作・管理していると信じられないが、最初にNゲージを趣味にしていた小中学生の頃は、新幹線の模型には見向きもしなかった記憶がある。
そんな「外道」だった新幹線だが、Nゲージの世界ではどうだったのだろうか。
筆者が小学校のころ、1970年代後半から1980年代前半にかけてブルートレイン・L特急ブームというのがあった。要するに国鉄の寝台列車・特急列車のブームで、ヘッドマークなどをモチーフにした文具やグッズが出回っていたのを覚えている。Nゲージが普及というか人気が出てきたのもその頃で、ファミコンブームの時に様々なメーカーが参入してきたように(あれほどではないか)、現在大手のカトーやトミックスはもとより、Nゲージにも大小様々なメーカーが参入していた。
当時は趣味的には新幹線の人気は低かったのだが、子供向け絵本や玩具などでは新幹線は人気があった(0系のお子様ランチ皿とか知ってる人はオッサン・・・筆者含む)。そのせいか、実はNゲージの新幹線模型も結構古くから発売されていたのだ。
日本初の新幹線のNゲージをリリースしたのは学習研究社。今でも数多くの書籍を発行するあの学研である(「学研のおばちゃん」なんて書いたら歳がバレるw)。今からでは想像できないが、学研がNゲージに参入していたことがあって、その第一弾が新幹線0系(当時は0系ではなく「新幹線電車」と呼ばれていた)だったのだ。その登場時期は1975年と相当古く、前述のブルートレイン・L特急ブーム以前から新幹線Nゲージがあったというのは(当時の新幹線人気を考えたら)結構驚く。
次に発売されたのは3年後の1978年、主にHOゲージのメーカーであったエンドウがリリースした0系である。プラスチック製が主流のNゲージでは珍しく、同社のNゲージは金属製が主流で、この0系も金属製ボディという特徴があった。 エンドウ製0系はこの後再生産や改良が行われたり、東北・上越新幹線開業後は緑色に塗り替えただけのなんちゃって200系を出したりしていた(後に正式な200系も発売している)。
いずれも新幹線人気の低い時期に登場していて、時代を先読みしていた・・・というよりは「玩具の延長」もしくは、「他社がやってないので」というニッチ狙いだったのかもしれない。正直なところ、現在の目で見れば製品レベルは高くないし、時期が時期だけにあまり売れていたという実感はない。しかし、この2社の0系が新幹線Nゲージのパイオニアであることは間違いないだろう。
現在では、両社ともNゲージからは撤退している(学研は鉄道模型自体から撤退、エンドウは現在はHOゲージのみ)。しかし、エンドウ製0系はタマ数がそれなりに出ていたのだろうか、現在でもヤフオクで見かけることがある。
このように、Nゲージの新幹線の登場は意外に早かった・・・のだが、現在新幹線を数多くリリースしている2大メーカーのカトー・トミックスは、国鉄の在来線車両については幅広く出していたものの、当時の人気を考えてか新幹線については完全にスルーしていた。だが、それにも転機が訪れる。 1982年の東北・上越新幹線の開業だ。
新幹線趣味というジャンルが芽生えるにはまだまだという感があったが、東北・上越新幹線は前述のNゲージブームのさなかの開業ということもあり、話題性のあるうちにということだろうか、1983年頃のほぼ同時期に、カトー・トミックスから東北・上越新幹線用の200系がリリースされた。ほどなく0系も両社からリリースされたが、新幹線車両として先輩格の0系ではなく、当時話題だった200系から模型化されたというのがポイントだ。モデリングについては現在でも通用する、先の学研・エンドウ製品とは比較にならないほどのレベルとなった。
大手メーカー初の新幹線模型となった200系(左・カトー、右・トミックス)。現在までに再生産や改良も行われているが、基本部分は発売当初と変わっておらず、製品仕様的には古臭さを感じる部分があるものの、造形自体は現在でも通用するレベルのものを備えていたといえる。
写真のトミックスは400系「つばさ」と連結できるよう、後年改良されたモデルである。スカートとボディの隙間が大きいが、筆者所有の個体があまりいい状態ではないことが原因。
だが、新幹線のNゲージは売れ筋となるにはまだまだ時期が早かったようで、0系と200系のモデル化以降、カトーとトミックスとでは新幹線に対するスタンスが異なる時期が続くことになる。
1985年、新幹線初のフルモデルチェンジといえる100系の試作車(X0編成)が登場した。シャープになった先頭形状、2階建てグリーン車、食堂車の連結は大いに話題となり、これまで趣味性の希薄だった新幹線にもわずかに光が差し込んだ。
模型の世界では、トミックスがいち早く100系を製品化。ただし、このときのプロトタイプは試作車X0編成で、量産車はかなり異なる仕様で登場したため、模型も量産車に仕様変更して再生産された。このため、トミックスの試作車仕様が生産された時期はわずかであり、ヤフオクなどではとんでもないプレミアがつく場合がある。
この後、ほどなく国鉄は分割民営化されJRとなった。新幹線が3つのJRに分割された結果、各JRごとに特色ある新幹線車両が次々と登場。初の「のぞみ」車両である300系、これまでの常識を覆す銀色ボディの山形新幹線用400系、オール2階建てのE1系Max、最高速度300km/hを実現した500系・・・かつては0系しかなく、つまらないとされた新幹線はバリエーション豊かな「鉄道」となり、鉄道趣味のジャンルとして、新幹線は一気にメジャーなジャンルに躍り出た。
Nゲージの世界でも、これに追従するように次々と製品化されていくわけだが、100系、300系、400系と、その後も立て続けに新幹線をリリースし、現在までペースを変えていないトミックスに対し、カトーは新幹線には消極的な時期が続いた(話題のE1系や500系はさすがに製品化していたが)。しかし、カトーも新幹線は売れることに気付いたのだろうか、2000年以降は製品化ペースを早めており、N700系のように新車登場後、ほどなく模型化するパターンだけでなく、過去にスルーしてきた形式も製品化するようになった。同社のスターターセットも、現在は新幹線が主流となっている。
2002年にはマイクロエースが新幹線Nゲージを発売。カトー・トミックスが製品化していない、もしくは製品化しても長い間放置されている形式に着目し、具体的には0系初期の大窓仕様、200系の晩年期仕様、そのほか試作車やドクターイエローといったニッチなラインナップが特徴である。今後もこのメーカーはこの路線で続けていくのだろう。
これは新幹線模型に限った話ではないのだが、前述のブルートレイン・L特急ブームのあたりの「第一次ブーム」と比べると、製品構成やコンセプトにも歴史的な変化が見られる。
第一次ブーム、新幹線模型でいえば0系・200系のあたりだろうか。この頃はセットに加えて、単品で1両単位で発売されていた。模型化される車両も実車すべてを再現することはなく(その意味では当時全形式を用意したカトーの200系は珍しい)、最大公約数的な車両のみが用意されていた。
というのも、当時のNゲージユーザは大部分が小中学生であり、経済的にNゲージは高い買い物であった。その当時にフル編成(16両編成とか)を走らせるなんて、大人の開催する鉄道模型運転会でたまに見られた程度。メインユーザの小中学生にとっては6両程度で所持するのが精いっぱいで、少し余裕があれば、単品を買い足して8両にするとか、その程度だったのである。
そのため、編成を忠実に組むのはどだい無理な話で、6〜8両程度で各々が満足する編成を組んでいた。レンタルレイアウトもない当時では走らせるのも家が中心で、そもそも長い編成を走らせるスペースもない。そんな状況では16両編成すべての車両を作り分けるというのは無駄でしかなく、ゆえにメーカーも最大公約数的なラインナップしか用意しなかったし、ユーザも大半はそれで満足していたのである。
しかし、筆者のような出戻りNゲージャーをはじめとする、大人がNゲージを買うようになってからは状況が変わってきた。経済力は小中学生の頃とは比較にならないし(それでもNゲージは高いと感じることもあるが・・・)、ユーザが求めるレベルも上がっているためか、ほとんどの製品がフル編成を志向したものとなる。近年の新製品はセット売りがメインで、2〜4種類のセットでフル編成になるようなスタイルがほとんどである。考証も正確さが求められ、16両編成なら16両分、車両が用意されるようになっている(編成中に同じ車体もあったりするので、ある程度共用化はされている)。
メーカーの技術力も上がっているため、ディテールやギミック(連結装置など)の進化も著しく、第一次ブームの頃と比べ、製品ラインナップも仕上がりも飛躍的に上がっている。ただし、古い製品はリニューアルされても基本設計は変わらずという場合も多く、近年の製品と格差が発生しているような場合もある。
しかし、製品や情報に恵まれた環境による弊害なのだろうか、メーカーに対するユーザの要求レベルが上がり過ぎて、おおらかさや余裕がなくなっているような感がしなくもない。大手メーカーの完成品模型というのは、玩具的手法による大量生産によって現在の価格を実現しているといってよく、そこには妥協や共用化がある程度行われても仕方がないという現実は、ユーザ側も肝に銘じておきたい。
市販の模型に不満がある場合、自分で改造や手を加えるしかない。しかし、新幹線模型はメーカー完成品が主流でキット製品がないこともあり、他のジャンルと比べて「工作派」が育ちにくいという側面もあるようだ。完成品のラインナップが豊富な現在、敷居の高いキットがスルーされるのは在来線模型も同じ傾向ではあるのだが。
実車・模型ともにメジャーなジャンルとなった新幹線だが、その勢いは衰えそうにない。路線もまだまだ伸びるし、あくなき高速化と快適性を追求し、過酷な環境で使用される新幹線車両は世代交代も在来線より早く、新型車が次々出てきて、車両バリエーションの拡大が期待できる環境にある。模型メーカーからしても、今や新幹線は売れ筋商品であるため、技術的な困難がない限り、「実車の新型がデビューする=模型化は時間の問題」といっても過言ではないのかもしれない。それどころか、2011年春の東北新幹線「はやぶさ」デビュー、九州新幹線全線開業時がそうだったが、実車の登場とほぼ同時期に模型化されるような状況になりつつある。
一方で、新幹線でも廃車される形式が出ていることも確かで、0系などすでに消滅している形式もあるが、そうした過去の形式も楽しめるのが模型の特権だ(時代考証をきちんと考えるも良し、新幹線オールスターズでも良し)。しかし、旧型の模型は市場在庫がなく、ヤフオクなどで入手せざるを得ない場合も多い。新型ばかりではなく、旧型の模型の安定供給やリニューアルも望みたい。新幹線模型では現在のところ例はないが、在来線模型では多々行われる「完全新規製作の」リニューアルにも期待したいところである。
また、筆者はどちらかというと工作は好きなので、新幹線模型でも工作が広まるといいなという希望がある。需要が少なそうなので難しいと思うが、新幹線でもキット製品があると面白いと思う(0系のようにバリエーションが豊富な形式は、キットの方が向いているんじゃないかと思ったり)。雑誌やWebでは新幹線模型の工作例もあるが、他のジャンルと比べたらまだまだ少ない。当面先の話だが、いずれはこのサイトでも、新幹線模型(以外も)の工作や改造の紹介ができればと考えている。
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新幹線Nゲージ鉄道模型の概要
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